国税局マルサと闘った男の「苦悩」を追う

『テーミス』2013.5より

査察官は最初から犯人扱いしだしメディアも班員と報道へ

ーーーそのときどうするか?!

 この事件の発端は、'93年12月14日、東京国税局査察部(マルサ)が、宗教団体ワールドメイト(当時、コスモメイト)とその関係者など、77か所に「強制調査」を行ったことに始まる。午前8時、マルサの査察官たちは全国の関連施設にガサ入れを実施した。その査察官の数は、総勢400人にも達したという。

 査察部員はそれぞれに「4億円、4億円!」という言葉をしきりに交わしていた。なぜなら、ワールドメイトの別派を作ろうとしていた人物らが、あたかもワールドメイトが4億円の"隠し財産"を持っているかのようなシナリオを垣、東京国税局にタレ込んでいたからだ。

13年間闘い「課税処分取り消し」

 当時を知る国税庁担当記者がいう。「国税庁史上、きちんとした宗教活動を行っていた団体に対して『脱税容疑』をかけたのは初めてのことだった。当時、国税は宗教への課税の先例作りをもくろみ、宗教の財政内容や活動に目を光らせていた。そこへ元信者によるタレ込みがあったため、一気に強制調査まで踏み込んだのだ。しかし、結局、予想された架空名義の通帳や隠し現金、金ののべ棒などは一切、見つからなかった」

 当時、マルサ査察官に尋問された関係者のなかには、1回につき10時間にわたって厳しく追及された者もいた。机をたたいて恫喝され、実際に喋っていない供述書にサインさせられた幹部もいた。

 良く'94年3月22日、国税庁は「全動員」といわれる400人の査察官を送り込み、2回目の強制調査を行ったが、課税処分は行われなかった。その後、東京地検特捜部も立件を見送った。

 しかし、これであきらめるような国税ではない。'96年5月、今度は荻窪税務署が、株式会社日本視聴覚社(当時の株式会社コスモワールド)に対し、「宗教団体ワールドメイトはこの会社の一部門であると見なすから、そのように税務申告せよ」との一方的な通告をしてきたという。

 前出の国税担当記者がいう。

「東京国税局はコスモワールドが5年間で60億円余りの申告漏れがあったと指摘、追徴課税額は重加算税を含めて約34億円になると迫った。一方、コスモワールド側も『断固闘う』と荻窪税務署の違法な課税処分の取り消しを求め、東京地検に提訴。裁判は高裁まで争われ、その結果、'06年5月25日『課税処分が全く根拠のない違法なものであり、処分を取り消す』旨の高裁判決が出された。税務事件は高裁が最終審となるから、13年間にわたる"濡れ衣"がここでやっと晴らされたことになる。

 裁判の結果、不当に税務当局に押収されていた現金や関連書類も、この時点でやっと返還されたという。それにしても、よほどの精神力がなければ、泣く子も黙る国税との闘いを継続することは困難だろう。

 ただ、13年間という長い間、ワールドメイトが被った被害は甚大なものだ。当時の代表者が職員は何度も東京国税局に呼び出され、深夜まで過酷な取り調べを受けている。

メディアは名誉回復に努めよ

 マスコミによる風評被害も大きい。「所得隠し60億円余と認定 宗教団体『ワールドメイト』関連会社(朝日新聞'96年5月22日付)、「"宗教団体"ワールドメイト関連会社(日経新聞同日付)など、脱税と決めつけた記事が多い。『週刊新潮』や『フォーカス』なども、あたかもワールドメイトが「悪者」であるかのように書き立てた。

 しかし、高裁判決が出たあとも、これらの新聞や雑誌はそれを報道することもなく、過去の記事を訂正することもなかった。本来なら、経済的、社会的、精神的被害で国家賠償請求訴訟も可能な問題だが、ワールドメイト代表の半田晴久氏はいう。

「13年間の不毛な闘いは我々の膨大な損失だけではなく、行政にとっても大変無駄な時間と労力と費用の損失だった。もし国家賠償請求訴訟に勝ったとしても支払われる賠償金は国民の税金で賄われる。これ以上国民の税金の無駄遣いは許されない」

 かつて'50年代から'60年代にかけて米NBCの代理人として『ララミー牧場』などのヒット作を手がけ、急成長した元太平洋テレビ社長の清水昭氏という人物がいた。東京国税局に脱税容疑をかけられ逮捕。裁判では一審、二審とも「無罪」だったが、国家賠償を求めて23年間争った裁判では、全面敗訴になった。

 清水氏は30臆円にのぼる損害賠償請求するため、東京高裁に控訴したが、途中、63歳で亡くなった。

 納税者が脱税していないと確信していても、国税当局と闘うことは精神的にも資金面でもきわめて苛酷である。さらにメディアの一方的な報道は運命をねじ曲げてしまう。それだけにメディアは、脱税容疑を晴らした人々の名誉回復を図ることに努めねばならないし、国税当局は調査や査察、メディアへの発表には慎重でなければならない。