ワールドメイト T夫妻裁判

T夫妻裁判のあらまし

T夫妻裁判とは、ワールドメイトに入会している娘をやめさせようと、T夫妻が支部に押しかけて説得する際に、交わした会話が名誉毀損の疑いがあるということで、提訴されたものです。

 

もともと、単なる親子げんかであったところ、T夫妻が支部に押しかけ、支部の玄関入り口で大声で暴言を吐くなどの行為があったらしいと、当時の支部の人に聞いています。その際、T夫妻が支部玄関で論争しながら言った内容が名誉毀損に当たるかどうかが争われたそうです。

 

ワールドメイトは、再三、娘に親と仲直りをするように働きかけたようですが、娘が両親におびえて、仲直りを拒否したために、両親が、わざわざ支部に押しかけてきたようです。

 

2005年1月28日、東京地裁は、中傷発言は支部の人らの耳に届いたと推認されるが、原告の名誉を毀損するなど社会的に見て相当な範囲を逸脱した違法なものと認めることはできないと判断し、原告ワールドメイト側の請求を棄却したそうです。

 

T夫妻裁判の裁判資料が流出?

T夫妻裁判でT夫妻より提出された書類が、「ワールドメイトの実態」に多数掲載されているようです。T夫妻が裁判資料を流出させているのでしょうか? それとも、T夫妻が関わるサイトだということでしょうか?

 

いずれにしても、話によると、T夫妻とは、日頃から子供(といっても今はもうアラフォーでしょう)とのコミュニケーションがとれず、探偵に子供の跡をつけさせるなどの行為があったそうです。

 

 

親子げんかとなるのももっともな状況だと思いますし、子供がワールドメイトに救いを求めたくなる気持ちも、わからなくもないですねwww

 

T氏夫妻の訴訟に関し、ワールドメイトによる経緯説明

ワールドメイト公式サイトより転載)

 

【概容】

平成17年1月28日、東京地裁において、ワールドメイトが提訴していたT氏夫妻との訴訟の判決が出されました。

 

この訴訟は、T氏夫妻がワールドメイトのある支部を訪れ、ワールドメイトなどを中傷したことについての裁判でした。これについて東京地裁は、大意

 

★T氏夫妻の発言は、ワールドメイトに入会した娘を、説得して辞めさせようと言う意図の下に、一連の会話をしていた中でなされた

★これらの発言は、他者に聞かせることを意図してなされたものではなかった

★支部にいた人々にこれらの発言が耳に届いたと推認されるが、それらの一部(中傷発言)が真実であるなどと理解することは考えがたい

などの理由を述べ(判決20頁等)、原告ワールドメイトの名誉を毀損するなど社会的に見て相当な範囲を逸脱した違法なものと認めることはできない、と判断しました。

(なおT氏夫妻は、ワールドメイトが裁判を行う資格(原告適格)がない旨主張しましたが、東京地裁はこれを却下しました。)

 

この判決には事実誤認もあり、ワールドメイトとしては不満な内容もありましたが、これまで出されていた神業的方向に則り、裁判を終結させることに致しました次第です。

 

なお、これに先立って、インターネット上でワールドメイトを中傷していた、N氏およびR氏に対する訴訟も既に終結しています。(N氏については謝罪があったため、和解して訴訟終結。またR氏については、R氏の発言がワールドメイトの名誉を毀損したことを東京地裁が認めた上で、しかし損害賠償請求にまでは至らない、という判決が昨年出ています)。

 

従って、本件の終結を以て、マスコミ関係者以外の方に対する一連の提訴は全て終了いたしましたことを、ここにご報告申し上げます。

(平成17年3月7日現在)

 

【本件の経緯】

T氏夫妻の娘のA子さんは、ワールドメイトの会員であり、A子さんの夫も会員です。

 

A子さんによれば、T氏夫妻は、娘を過度に手元に置きたがる傾向にあり、恋愛等の自由も全く許されなかった、とのこと。そのA子さんが信仰するワールドメイトを、T氏夫妻が快く思うはずもありません。さらにA子さんの夫が会員であることから、T氏夫妻は、娘をワールドメイトに奪われたと言うようになりました。(しかし実際には、ご両親はA子さんの所在を知っており、いつでも訪ねていける上、A子さんもご両親の元へ自由に足を運んでいるのです。)

 

T氏夫妻は、娘の結婚は、宗教的に洗脳された結果に違いない旨おっしゃるのですが、ワールドメイトには洗脳などはなく、ましてや会員同士を無理矢理結婚させるようなことはあり得ません。これまでの20年間に、そんなトラブルは1件もありません。

 

さらにT氏夫妻はワールドメイトに、

深見教祖から直接K(A子さんの夫)に対して即時協議離婚と娘の両親のもとへの復帰、又は少なくとも即時離婚及びKとその宗教からの離脱を指示していただくよう、本書により要請します」

という文書を送ってこられました。

 

しかし、ワールドメイトは会員の恋愛・結婚に何ら強制等をするつもりはありませんし、そもそもそれは人権侵害というものです。そこでワールドメイト側としては、A子さんにT氏夫妻との仲直りを再三勧めましたが、A子さんはT氏夫妻におびえ、仲直りを拒否されたのです。

 

言わばこれは親子喧嘩であり、元々ワールドメイトとは全く関係がなく、ワールドメイトは非常に迷惑を被ってきたのです。

 

ここからが、ワールドメイトがT氏夫妻を提訴せざるを得なかった内容ですが、T氏夫妻がある日、ワールドメイトの某支部を訪れ、A子さんの夫らと大声で言い合いをするという事件がおきました。その時の、T氏夫妻が支部の玄関で論争しながら言った内容が、名誉毀損にあたる・あたらないということで訴訟となったのです。

 

重ねて申しますが、過去20年間の中で、会員同士を「洗脳」して恋愛させたとか、人を連れ去ったなどという苦情は、T氏夫妻以外に受けたことがありません。そんな問題が起きたことも皆無であり、非常に困惑いたしました。しかしワールドメイトとしては一貫して、誠意を尽くしてT氏の誤解を解こうと努めてきました。T氏夫妻が中傷を行わず、A子さんと歩み寄って下さるならば、いつでも和解や取り下げを行う、ともホームページ等で述べてきました。

 

今回出された判決には、T氏夫妻の発言が「●●(娘さんの名)を説得したいとの意図の下に、●●(娘さんの夫)との一連の会話をした中でなされた」等の記載があります。T氏夫妻の親子感情への配慮が盛り込まれた判決と推察する次第です。T氏夫妻が、ワールドメイトに悪意を持たれていることは本当に残念ですが、しかしそうしたA子さんに対する思いは、私たちも重々承知しております。

 

だからこそこれまでも、T氏夫妻とA子さんが歩み寄られるよう願い、また一方A子さんの思いも尊重し、及ばずながら尽力してきたことは、既に述べて参りました通りです。

 

私たちが、本人の意思を無視して「ああしろ、こうしろ」と信者を思いのままに動かすような教団だったなら、A子さんに「命令」するのはたやすいのでしょう。しかし、私たちはそのような、人の意思や人権を踏みにじる団体ではありません。全ての人が、自分の意志で幸せになっていただきたいと願っており、だからこそ、今の喧嘩別れのような状況が改善されることを、心より願っている次第です。

 

【終わりに】

私たちは、『和を以て尊しと為す』の姿勢を本是としています。しかし、だからといって何でもかんでも泣き寝入りすることが、社会的に正しいわけでもありません。会員の方々を守る為に、やむを得ず訴訟の形をも取りうるというのが、かつての方針でした。

 

しかし昨年来、今までの方法論から一歩進み、『なるべく訴訟を起こさずに言向け和していく』という、本来望んでいたあり方に移行してきたのであり、今回の裁判終結で、その流れのひと区切りを迎えたものと思っております。

 

今後は基本的に、裁判以外の方法で、相手に真実を知らせ、和解していく道を取ることを目指していくものです。ただ無論、悪質な中傷や、嫌がらせ的な提訴、意趣返し的な反訴などにより、重大なトラブルを受ける事態が起こった場合には、やむを得ず受けて立たざるを得ないことを、ご理解いただきたいと存じます。

 

訴訟大国アメリカにおける、言いがかりとしか思えないような馬鹿馬鹿しい訴訟が、時折ニュースとして話題にのぼることがあります。言葉は悪いながら、古人の「盗人にも三分の理」とはよく言ったものだ、と思うばかりです。しかしそれは対岸の火事ではなく、日本もこの先、そのような訴訟社会になっていくのかも知れません。それでも私たちは、『なるべく訴訟を起こさずに言向け和していく』という方向性を取っていきたいと願っています。そして、よほど悪質な行為があった場合にのみ、法廷にて降りかかる火の粉を払っていくことで、言われなき中傷に会員の皆様が悩まされることなきように配慮し、団体としてより良き成長を遂げていきたいと考えている次第です。

 

宗教者にとって、言われなき中傷はいつの時代にもあるものです。お釈迦様やイエス様や役小角でさえ、直弟子からの裏切りを受け、当時は命を狙われるほどに、社会から圧迫を受け蔑まれたのです。また、近世日本最大の宗教家と言われる出口王仁三郎も、不公正な裁判に苦しめられ、「淫祠邪教」とさえ呼ばれた歴史があります。それを思うとき、我々宗教者はその時代の評論や中傷に一喜一憂せず、神仏の御心をただただ推し進め、一人でも多くの衆生を救済し、黙々と社会に有益な公益活動や福祉活動を実行するしかない、と改めて思う次第です。

 

批判や評論というのは実にたやすいものです。しかし、批判や評論をする人々が、実際に人命を救っているのでしょうか。人々の幸せを願う連続祈願をしているのでしょうか。病に苦しむ人々には病院を建て、無料で施薬し、親を亡くした子供たちには孤児院を作り、第三世界で苦しむ子供たちには、学校を建てる。そうした「黙々と継続する愛の実践行」の足跡を残しているでしょうか…?

私たちはただ、評論ではなく行動し、自らの愛の深浅を省みて、日々励んでいくばかりです。そして、これまでの姿勢に満足することなく、さらに高い山を目指して精進していく所存です。それが、神様の本当に喜ばれることと確信するからであります。