NPO法人 世界協力開発機構(WSD)

NPO法人 世界協力開発機構(WSD)の情報

 特定非営利活動法人「世界開発協力機構」(Worldwide Support for Development:WSD)は、2008年2月、東京都より特定非営利活動法人(NPO法人)の認可を受けた国際支援組織で、国際協力や福祉活動、大学・学術系団体への支援活動等を行う団体です。

 

総裁  半田晴久

副総裁 伊藤憲一

副総裁 ティム・ランケスター卿

理事長 井上康道

NPO法人 世界協力開発機構(WSD)「ワールドメイトの実態」への反論

「ワールドメイトの実態」では、「世界協力開発機構の事務所は、日本視聴覚社と同一」などと書いてあるが、登記では同一でもなんでもありませんでした。なんでも一時期、同じビルの違う部屋に事務所があったらしいということが判明し、同一ではなかったことが証明されました。

 

東京都にNPO認証申請時の事業計画書によると、

「カンボジア孤児院プロジェクトの支援、ユナイテッド・ラーニング・トラスト(小学校設立プロジェクト)への支援、西オーストラリア州立大学における奨学金(ジョン・サンダーソン奨学金)への支援、カンボジア大学書籍出版プロジェクトのための支援、アジア・エコノミック・フォーラムの運営協力、JAC(日本留学生同窓会)事務所運営コスト支援」となっています。

「ワールドメイトの実態」では、「世界芸術振興協会(IFAC)の事業報告書とダブリ、新たにNPO法人を設立する必要はない」などと決めつけていますが、これはさすがに「言いがかり」の域に思えます。別個のNPOが、それぞれ、何かの福祉活動に支援することは特に不思議なことではありません。NPOに限らず、例えばの話、日本政府とアメリカ政府が、それぞれに、何かのプロジェクトに寄付していたら、「日本とアメリカが独立して存在する必要はない」ということになるでしょうか。こんな理屈が成り立たないことは、誰の目にも明らかでしょう。

 

なのに、何故「ワールドメイトの実態」が、こんな「言いがかり」に思える結論を出しているのか。私が思うに、「ワールドメイトの実態」が、すべての法人が「半田氏の支配下にある」という、根拠のない考えを持っているからではないでしょうか。その考えに取り付かれてしまっている為に、1つの福祉プロジェクトに、複数のNPOが寄付協力していると、「新たにNPO法人を設立する必要はない」などという奇怪な結論を出してしまうのです。

しかし実際は、この「ワールドメイトの実態」の決めつけは、逆効果でしたね。どちらも「半田氏の支配下」にないからこそ、別個にNPOが立ち上がり、それぞれに有意義と考えるプロジェクトに援助や協力をしているのだろう、ということが、容易に分かるわけです。

 

ちなみに、当然のことですが、世界協力開発機構(WSD)が行っている活動でも、世界芸術振興協会(IFAC)が行なっていない活動があります。逆もまたしかり。全部が同一であるならまだしも、これでは、意義を感じたいくつかのプロジェクトがかぶった、という事が明らか。「ワールドメイトの実態」がかなり無理なこじつけをしていると思えますね。

「ワールドメイトの実態」には、「認証を容易にするために計画的記載であった可能性がある」などと書いてありますが、全くそのような可能性は感じません。

 

ところで、「ワールドメイトの実態」には、「ワールドメイト会員から集めた莫大な資金をNPO法人に流し、その資金を半田氏のほぼ独断で自由に使用している」などと書いてありますが、これも何ら証拠等なく書いており、全くのデタラメとしか思えません。またちなみに、確認したところ、深見東州も無給で総裁を務めているそうで、なんら問題がないと言えましょう。

「ワールドメイトの実態」には、「登記上では多数のワールドメイトスタッフを含む理事を増員」と書いてあります。ところが確認したところ、ワールドメイトの職員で世界協力開発機構(WSD)の理事に就いている方は、全員、無給のボランティアとして協力しているに過ぎないことが分かりました。

ワールドメイトは、もともと、宗教の枠を越えた公益活動を行う深見東州の理念に賛同している人が集っているのですから、なんら問題のないどころか、むしろ、非常に素晴らしい心がけであると思います。

 

以上、世界協力開発機構(WSD)の「ワールドメイトの実態」について検証をしてみました。「信憑性のない単なる邪推を、もっともらしく書いただけのサイト」という評価、皆様もご納得されるのではないでしょうか。

もっともらしくデタラメを書くサイトには、くれぐれも注意が必要ですね。

 

「ワールドメイトの実態」の管理人は、即刻、サイトを削除すべきでしょう。違法性が問題視されることがあれば、大変な事になるのではと、人ごとながら心配に思ってしまいます。